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自分史は誰のためのものか
自分史の出版を準備していた著者の家族から、出版を中止したいと連絡を受けました。
著者が突然の事故に巻き込まれ、入院の身となってしまったのです。
著者は家族に向けて、自身の戦争体験から始まり、数年を費やして執筆、
ほぼ完成して印刷を待つばかりだったのですが、残念なことです。

しかし、自分史に対する本人と家族との考えの隔たりは、この人だけのことでしょうか。

執筆する人の多くは、完成後、特に家族に読んでほしいと願います。
戦争体験者は、歴史に翻弄された苦難を本に残すことで、個人の経験を人間共通の歴史に昇華させたいと思っています。
私もこれまで、個人の歴史を残すことは、培ってきた知恵や教訓を後世の人へ財産として残すことであり、
特に戦争体験には残すべき公の価値があると信じてきました。
しかし、これまで編集した自分史で、著者の希望にかなう形で家族に読んでもらえた例は多くありません。
家族は読まないのです。
本人亡き後、すぐ処分された本、すべてを匿名にしなければならなかった本、残念な本はたくさんありました。

戦争体験記はどうでしょうか。
自分史のなかでも公の価値がある別格として、家族が読まなくても一般読者が読むでしょうか。

個人の戦争体験を通して、筆者が戦争という同じ過ちを繰り返さないためにどのような価値観を見出したのかに触れず、
社会的な歴史認識としての考察を持たなければ、
戦争体験記といえども、他の自分史との違いはありません。

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それでも私は自分史が必要だと思うのです。
書くべき何かを心に持つ人にとって、自分史は最高の表現手段です。
自分史を書くとき、その静ひつな時間は自分だけのものです。
自分史を完成した経験は、以後の自分の人生を照らしてくれます。

自分史を目指す著者は、読者が自分しかいないことを覚悟して自分史を作るべきだと思います。
author:編集者紹介, category:自分史, 21:41
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